倉光隆士 創造故事

物事の捉え方を変える為の処方箋

「お茶はお茶の味がするだけ」・・・。

 

「今度は自分の感情と向き合うという話をして行きましょうか・・・。」

 

と、尾葉さんは言って話を始めた。

 

「さっき「天国と地獄」の話をした時に、自分の感情が天国にも地獄にもするという話をしましたが、感情とは自分の思考や捉え方が働いて生まれる物です。」

 

「例えば他人に言われたセリフに対して、自分の心境や今までの人生経験から喜ぶ場合と喜ばない場合があるという経験はありませんか?」

 

「確かに生きて行く上では必要な判断という事があるので、一概に悪いとは言いませんが、物事を否定的な捉え方をしていれば「因果応報」という面から見てみても良い未来と言われる結果を迎える事は出来ません。」

 

「だからといって何でも物事をプラス思考で無理やり捉えようとしても、自分の潜在的な部分も含めて半信半疑でいるのであれば、やはり良い結果にはなりません。」

 

「要はバランスだったり、ケースバイケースだったり、程度の問題ですけどね。」

 

と、尾葉さんは話して少し間を空けて再び話始めた・・・。

 

「例えば誰かの家に伺ってお茶を飲んだとします。」

 

「その時に「美味しい」とか「あまり美味しくない」という感想は、自分の思考が働いて生まれた感情に過ぎないのです。」

 

「ただお茶はお茶の味がするだけなんですよ。」

 

「私はあまり鰻を美味しいとは思わないのですが、好きな人は好きですよね。」

 

「やっぱり鰻も鰻の味がするだけなんです。」

 

「今は味覚の話をして生まれる思考や感情の話をしましたが、対人関係や普段の生活でのアクシデントというのも、単なるアクシデントなんです。」

 

「アクシデントに対して思考や感情が働いて良い悪いと判断しているだけの話だと言う事ですね。」

 

「「因果応報」の話に繋がる話なのですが、「因果応報」というのは自分の思考や感情が自分に戻って来る法則です。」

 

「自分の捉え方によって戻って来る物事が変わるし、今までの物事の捉え方が変われば悲劇を見る機会を減らす事も出来るという事ですよ。」

 

「だから両親が人が嫌がる事をしたら駄目だよという躾をするんですよ。」

 

「「因果応報」というのは自分の思考や感情がそっくりそのまま帰って来るという事なので、考え方によってはとても怖い物でもあります。」

 

「例えば、人に良い顔をしながら心の中では口に出さないだけで文句を言っていたら、今度は自分が他人から同じように表情と言っている事は良い物でも他人は内側では良く思っていないという対応を受ける事になります。」

 

「ただし、心の中が読めない事も全て悪い訳ではないですよ。」

 

「自分が苦しい時も顔は笑顔でいるという事も必要な場合もありますからね。」

 

という話を尾葉さんはしてくれた。

 

「「因果応報」というのは心の内側にある思考や感情も反映させるというのは、改めて説明を聞いたらゾッとする・・・。」

 

と、自分は心の中で考えていた・・・。